my book life

~読書ノコト~

「わたし」のための読書論

 

 

※24/01/09 一部表記を修正しました。

こんにちは。

実を言うと、2021年に私はKindle本を刊行しています。当時のTwitterのハンドルであった「すたんど」名義でしたが、上掲の『さよなら、読書論』がそれです。4冊ほどの「読書論」「読書術」について簡単にご紹介した上で、それぞれが、「自前」の読書観を構築するといいという16ページのパンフレットのようなものです。そろそろ内容を一新したものが出せるといいなと考えているところです。

さて、今回(から)はその下準備として、常日頃考えていることをまとめてみようと思っています。読書とは、畢竟「わたし」をつくるためにするということが書けていればいいなと考えています。しばしおつきあいくださるとうれしいです。

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実のところ私は、読書「以外」であっても、「わたし」を充実させるものがあれば、それでいいと思っています。しかし、「ことば」で自分を耕し、ひととつながろうとするという点において、読書は秀でていると考えます。その意味では、私は人には読書をお勧めしたいと考えます(が、無理強いはしたくありません)。以下では、読書について流布していると思われる「常識」めいたものを検討しつつ、読書「観」の刷新に向けて書き連ねていきたいと考えます。さしあたって、

  1. 本は「最初」から読むべきか
  2. 本は最後まで読むべきか
  3. 本を汚してはいけないのか
  4. 本は静かに読むべきか
  5. 本は「はやく」「たくさん」読むのがよいのか

について考えてみようと思っています。

1.本は「最初」から読むべきか

本は、最初から順番に最後まで順番に読む――。そうお考えの方は多いのではないでしょうか。しかし、ここでは必ずしもそうではないと申し上げたいです。「最後まで」の部分については、別項でも言及いたしますが、例えば目次や「はじめに」、あるいは「あとがき」を重点的に読むのも良いと思います。奥付にも、重要な情報が記されていることがあります。ここでも「正解」はないのだと申し上げたいのですが、一つ言えるのは、読書を登山に例えると、山登りの準備をするのも必要だということです。

今から登ろうとしているのが、日帰りのピクニック程度で済むものなのか、数千メートルを超えるような山なのかを、事前に知っておくのはいいことだと思うのです。

考えるに、本を最初から順番に、最後まで読むというのは、例えば真犯人やトリックなどを知ってしまうと面白みが失せてしまう推理小説のようなタイプの文章でしょう。しかし、それはむしろ「例外」なのではないでしょうか。山の「難易度」に適した装備で登ることが大切だと思うのです。

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今回は以上といたします。2.以降については、順次書き進めてまいります。なお、このエントリーには「価格」を設定してあります。応援やご支援としてご購入いただけます場合には、以下に進んで手続きをなさってくださいますようお願い申し上げます。お読みいただきまして、ありがとうございました。それではまた!

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