こんにちは。
私は「100分de名著を語ろう」というclubhouseでのルームを運営しているとは、以前にも書いていることですが、今月度テキストの中江兆民『三酔人経綸問答』(平田オリザ著)が、放送の完結を待たずに読了できました。
ふだんですと、各回の放送前後にテキストの該当部分を読んでいるのですが、3回めを読み、録画を視聴した直後に、4回めまでを読んでしまいました。つまりは、21日(木)の「100分de名著を語ろう」の時点で、すでに読了していたということです。もちろん、会では4回めの記述について「ネタばらし」的に語ってしまうことは避けていたつもりです。
以下、興味深かった論点をランダムに挙げていきます。
- 放送では、洋学紳士(紳士君)の論調について、「理想主義」的に過ぎるという「味付け」がいささか強かったように感じていて、それには反感を持っていました。しかしそれはトリッキーな仕掛けだったんですね。それは後で述べることにします。
- その理想主義の「空気感」は、昭和30年代に似ていると平田さんは解説されていました。大戦後の10~20年後と、この著が出版された明治期とでは、大きな変革の後の残滓がある。そのことを指摘されていました。
- 放送の1回めは紳士君、2回めには豪傑君、3回めに南海先生という「割り当て」がされています(4回めは、自伝的な2著が紹介されるはずです)。ですので、今月度の肝はこの3回めということになると思います。
- 平田さんが注目されていたポイントから、私が感じ入ったのは、
- 翻訳
- 対話
- 漸進主義 といった論点についてでした。
- 日本において、仏教の昔から、先進の思想は必ず外来のもの=翻訳されたものとしてありました。この「翻訳」という作業を通して、概念は純化し、先鋭化、過激化すると兆民は指摘したといいます。なるほど。
- であれば、私たちの日常(ないし、日常会話)から、「政治」と「宗教」が抜け落ちてしまっている=根づいていない(または、排斥され、隠微されている)ことの理由もうなづけるものがあります。
- 「政治は一発逆転はあり得ない」として、対話(と、対話の教育)を通じた漸進的な改革こそ望ましいとしています。
- また、兆民は民権(民主主義)には次の2種があるとしています。
- 恢復的の民権=下からの、または「勝ち取った」民主主義
- 恩賜的の民権=上からの、または「与えられた」民主主義
- この理解の枠組みは、「戦後民主主義」の理解にあたっても再現されていることが、たいへん興味深かったです。
- 知人が言うには、平田さんは武田清子さんに学んでいたとのこともあって、こうした兆民理解はお手の物だったのだと得心しました。
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今回は以上といたします。お読みくださいましてありがとうございました。それではまた!