my book life

~読書ノコト~

【読了】茨木のり子『言の葉さやげ』(河出文庫)

 

 

こんにちは。

一か月ほどかかって、茨木のり子さんの最新の文庫『言の葉さやげ』(河出文庫)を読了できました。この文庫本は、最寄り駅近くにある小さな書店で偶然見かけて「即買い」を決めたもので、買ってよかったと思ったものの、ちまちま読んでいたので一か月かかったという次第です。

茨木さんの名は、たぶん「自分の感受性くらい」の作者として知ったもの、つまり末尾の「自分で守れ ばかものよ」経由で知ったもので、以来『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)や若松英輔さんのご本でさらに知ることとなりました。あ、岩波文庫版の『茨木のり子詩集』も読了していました・・・。

このエッセイ集は、茨木さんの「ことば」論と、詩人を中心とした「作者」論とが大半を占めています。巻末の解説を小池昌代さんが書かれていることも、購入にあたって決め手となりました。

その解説「言葉と沈黙」では、この本の表題の由来について以下の通りに書かれています。

「言の葉さやげ」とは、「言葉よ、ざわざわと音たててざわめけ」という意味である

これに続けて、茨木さん本人も言及している『古事記』にある歌謡のことが書かれ、さらに、「言葉」の語に「木の葉」が含まれている由縁をたずねているのは興味深いところです。

しかし私が書こうとしているのは、茨木さんと小池さんの所説について紹介したいというのではなくて、自分もそれを考えていたことがあるということなのです。すいません。

その考えも、実は志村ふくみさんと大岡信さんとを経由してたどり着いたものですので、オリジナリティを主張したいというものではありません。

志村さんと大岡さんとは、「言葉」を「思い」の現れとしての「花びら」になぞらえていました。私は「思い」の現れとして、「木の葉」としてもなぞらえ得ると考えています。一本の「樹」が人間であるとしたら、根から水分と養分とを吸い上げて、それが葉となり花としての「言葉」となるのだろうと思うのです。そして、その「葉」は散り積り、やがて朽ちて再び養分となって、樹と森を、そして山や河を守り、育てます。このような円環を、私はイメージしています。

つまり「よき樹」が「よき葉(=言葉)」となり、それが再び「よき樹」を育みます。しかし、悪しき葉は、悪しき樹となってしまわないでしょうか。そんな懸念を持ってしまうのです。

茨木さんの一つ一つのエッセイについては、それぞれ吟味するのに十分ですが、今回はそれはしません。私の手には余る労作業となるからです。その点についてお許しいただき、このエントリーを終えたいと思います。お読みくださり、ありがとうございました。それではまた!